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津地方裁判所 昭和62年(ワ)329号 判決

原告弁護士

破産者服部順破産管財人

加藤謙一

右常置代理人弁護士

向山富雄

被告

日本航空株式会社

右代表者代表取締役

山地進

右訴訟代理人弁護士

花岡敬明

主文

一  本件訴を却下する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(原告)

一  被告は原告に対し、金二五〇〇万円及びこれに対する昭和六二年七月一〇日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

(被告)

主文同旨

第二  当事者の主張

(原告)

一  請求原因

1 原告の当事者適格

(一) 訴外服部順(以下、訴外服部という。)は、昭和六一年五月二〇日津地方裁判所に於いて破産宣告を受け、原告が破産管財人に選任された。

(二) 訴外服部は、後記のように被告により精神的利益を侵害され、原告に慰謝料請求権を行使する旨を明らかにした。

2 本件事故の発生

被告所属のボーイング式747SR――100型JA8119(以下、「本件飛行機」という。)は、昭和六〇年八月一二日一八時二四分三五秒頃、伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かつた際、「ドーン」というような音と共に飛行の継続に重大な影響を及ぼす異状事態が発生し、羽田に引き返すこととなつたが、同機は激しいフゴイド及びダッチロール運動にもまれながら不安定な迷走飛行を約三〇分間続けた後、遂に同日一八時五六分頃、群馬、長野、埼玉の県境に位置する三国山の北北西約2.5キロメートルにある御巣鷹の尾根に墜落した。右墜落事故により乗客の訴外住本啓示(以下、訴外啓示という。)が同時刻頃死亡した。

3 本件事故の原因

(一) 本件飛行機は昭和五三年六月二日に大阪国際空港に着陸の際、後部胴体を滑走路に接触させて機体が中破するという事故(以下、「しりもち事故」という。)を起こしたのであるが、被告から右修理を依頼されたボーイング社の修理チームは、胴体後部の一部とともに圧力隔壁の下半分を新品に交換した際、上側のウエブ(扇状板)と下側のウエブをつなぐ結合部(L18結合部)の合わせ面の一部で約一メートルの長さにわたつてエッジマージン(余白部)が不足し、上下ウエブをそれぞれ二列のリベットで固定できなくなつた為、長さ一メートル、幅五〇センチメートルのスプライス・プレート(中継ぎ板)をはさみ、上下両ウエブに二列ずつのリベットで接続することにしたが、作業員が幅の狭いプレートを用いた為、上下ウエブの接続が一列のリベットで結合されることになつてしまつた。

(二) 前記(一)の修理ミスの為、リベット付近の強度が約三〇パーセント低下し七〇パーセントとなり、その後七年間に一万二三一九回の飛行を繰り返すうちにリベット孔付近から多数の疲労亀裂が徐々に進展、事故時には亀裂は古いもので約一センチメートルに達し、亀裂の累計長さは約二八センチメートルになつた。したがつて、本件飛行機の後部圧力隔壁のリベット付近は右疲労亀裂の進展により残留強度が著しく低下していた。

(三) 本件飛行機が、事故当日、高度二万四〇〇〇フィート(約七三〇〇メートル)まで上昇した際、後部圧力隔壁は与圧された客室内と外気との気圧差(約0.63気圧)に耐えられず破断した。この破断が進行した結果、後部圧力隔壁の一部が開口し、その開口部から流出した客室与圧気は機体尾部のAPU(補助動力装置)防火壁を破壊し、APU本体を含む、尾部構造部を破壊し機体から脱落させた。更に、客室与圧空気は垂直尾翼内に流れ込み、垂直尾翼を破壊し四つの油圧系統全部を破断した為、本件飛行機は操縦不能に陥り、前記2のとおり約三〇分間の迷走飛行を続けた後、御巣鷹の尾根に墜落した。

4 被告の不法行為

本件墜落事故は、前記のとおり本件飛行機がしりもち事故を起こした際、被告から依頼を受けたボーイング社が後部圧力隔壁の修理をミスした為、金属疲労からくる亀裂が進行し、後部圧力隔壁が破断したことに起因するのであるが、被告は右欠陥修理を修理後検査で見逃し、更にその隔壁に進展した疲労亀裂を定時点検整備でも発見できなかつたという被告の検査、整備体制に過失があつたことも大きく起因している。

5 訴外服部の慰謝料請求権

訴外服部は訴外啓示の父ではないが、左に述べる事情を総合考慮すれば、実質的に父に準ずる者として固有の慰謝料請求権を有し、その額は金二五〇〇万円を下らない。

(一) 訴外服部は昭和三七年から昭和六〇年まで約二三年間の長きにわたり訴外啓示を我が子同様に養育してきた。

(二) 訴外服部は服部産婦人科を経営していた医師であるが、同訴外人は訴外啓示を後継者とすべく私立の医科大学に進学させ、八年間の長きにわたり医学教育を受けさせて来た。

(三) 訴外服部は訴外啓示の死亡により後継者を失つたということで、病院経営者としての信用を失い、倒産に追い込まれた。

(四) 本件飛行機事故により訴外啓示は墜落まで約三二分間、死の恐怖に苦しめられ、訴外服部は訴外啓示の安否等に関し多大の心労を尽くした。

6 よつて、原告は被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、金二五〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和六二年七月一〇日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告の本案前の申立理由に対する反論

1 ある財産権が破産財団に属するか否かについては、

① 破産者の財産であること

② 破産宣告当時に破産者が有する財産であること(ただし、宣告前に生じた原因に基づき将来行うべき請求権を含む。)

③ 差押えうる財産であること(破産宣告後に差押えうるようになつたものでもよい。)

などの要件が必要である(破産法第六条)。

慰謝料請求権が破産者の財産であることには争いは無く(①の要件)、本件のように破産宣告前の事故によつて発生したものであれば、破産宣告当時破産者が有する財産(②の要件)といえよう。問題は、差押え可能性(③の要件)を有するものであるかという点であろう。

この点に関していえば、行使上の一身専属権と解される慰謝料請求権は本人の行使の意思が全く示されていない段階では差押えができない(一身専属性を奪うことはできない。)ことは明らかであろう。

2 そこで、問題はいつ一身専属性が無くなるか(差押え可能となるか)という点に絞られる。大阪高裁昭和五四年三月三〇日判決は「被害者がこれを放棄等しないで行使する意思を明らかにした」時は「その意思を離れて一個の金銭債権として客観的存在となる」とし、破産管財人にその管理権が移るとしたが、その上告審である最高裁昭和五八年一〇月六日判決は「被害者が右請求権を行使する意思を表示しただけで、いまだその具体的な金額が当事者間において客観的に確定しない間は、被害者がなおその請求意思を貫くかどうかを自律的判断に委ねるのが相当であるから、右権利はなお一身専属性を有するものというべき」とし、「加害者が一定額の慰謝料を支払うことを内容とする合意又はかかる支払いを命ずる債務名義が成立したなど、具体的な慰謝料請求権が当事者において客観的に確定したとき」は、「その受領についてまで被害者の自律的判断に委ねるべき」理由はなく、一身専属性は失われるとした。

もし、これを機械的に本件にあてはめると、請求意思をもつ破産者は破産宣告後も破産宣告前に生じた慰謝料請求権を行使し、自らの名において訴訟をなし、判決が確定した際には破産宣告前から有していた債権として破産管財人がこれを取り立てるということになるであろう。

しかし、それは全く迂遠なことであるし、破産手続きが破産者の恣意に振り回されることとなり、法的安定を失うこととなろう。

3 右最高裁判決は、破産終結決定後破産者が訴えの提起をなし、その後破産者が死亡し破産者の遺族が承継した事案であつた。そこには、破産者と破産管財人との間で慰謝料請求の財団帰属性に対立があつた。

本件のごとき破産手続中破産者自らが財団帰属を望む場合にまで一身専属性を理由に、管財人とは別に破産者自ら訴えを提起するべきことを求める理由がどこにあろうか。

慰謝料請求権の行使につき、一身専属性が喪失する例として、被害者死亡の場合がある。ここでは金額確定という議論は全くない。そこにあるものはもはや被害者の意思を尋ねることができないし、その行使の自由を遺族に認める必要もないとする考えである。

問題の焦点は、被害者の請求意思の撤回をどの段階まで認めるのが相当かという点にある。

本件の如く裁判所の監督する債権者集会においてその具体化を管財人に委ね、債権者への配当の資としたい旨被害者(破産者)が意思表示している場合は、もはやその意思の撤回を認める必要はないし、手続きの安定の為撤回は許されないと考えるのが相当であろう。

右最高裁判例とは本件は場面を異にし、その拘束力は無いと考えるのが相当である。

(被告)

一  本案前の申立理由

本件訴えは、原告には当事者適格がなく、訴訟要件を欠くものであり、不適法である。すなわち、

慰謝料請求権は、これらを行使するかどうかは専ら被害者自身の意思によつて決せられるべきものと解される。また、その具体的金額自体も慰謝料請求権の成立と同時に客観的に明らかとなるわけではなく、被害者が右請求権を行使する意思を表示しただけで、その具体的な金額が当事者間において客観的に確定しない間は、被害者がなおその請求意思を貫くかどうかはその自律的判断に委ねられるべきものであるから、右権利はなお一身専属性を有する。加害者が被害者に対し、一定額の慰謝料を支払うことを内容とする合意又はかかる支払いを命ずる債務名義が成立したなど、具体的な金額の慰謝料請求権が当事者間において客観的に確定したときは、右慰謝料請求権は被害者の主観的意思から独立し、初めて客観的存在としての金銭債権となるのである。

したがつて、訴外服部が慰謝料請求権を行使しておらず、また、その具体的な金額が当事者間において客観的に確定もしていない本件の場合は、右慰謝料請求権はなお一身専属性を有し、同訴外人が破産宣告をうけていてもこれが破産財団に帰属することになるものではない。

二  被告の請求原因に対する認否

1 請求原因1(一)の事実は認めるが、1(二)の事実は知らない。

2 同5の事実のうち冒頭の事実は否認するが、(一)ないし(四)の各事実について全て知らない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一原告の当事者適格について

1  訴外服部が昭和六一年五月二〇日に津地方裁判所で破産宣告を受け、原告がその破産管財人となつたことは当事者間で争いがない。

2  被告は、本案前の申立てにおいて、原告主張の本件慰謝料請求権の成立が仮に認められたとして、右請求権は原告が管理処分権を有する破産財団に帰属する余地はないから、原告に本件訴えの当事者適格はない旨主張するので、この点を判断する。

(一) 原告が主張するところの右請求権は、いわゆる民法七一一条の生命侵害の場合における近親者の慰謝料請求権と解されるところ、右慰謝料請求権の本質は生命侵害により近親者に精神的苦痛を与えたという本来金銭に評価し難い無形の損害に対し、あえて、一定の金額に形象化して賠償を求めようとするものであることから、これを行使するかどうかは右近親者自身の意思によつて決せられるべきものである。しかも、右請求権のこのような本質に加えて、その具体的金額も成立と同時に客観的に明らかになるわけではなく、右近親者の精神的苦痛の程度・主観的意識ないし感情、加害者の故意過失の種類・程度その他の不確定的要素をもつ諸般の状況を総合して決せられるべき性質のものであることに鑑みると、右近親者が右請求権を行使する意思を表示しただけでその具体的金額が当事者間において客観的に確定しない間は、右近親者がなお右請求意思を貫くかどうかその自律的判断に委ねるのが相当であるから、右請求権はなお一身専属性を有するものというべきであつて、破産法六条三項の「差押フルコト得サル財産」に該当し、右近親者が破産宣告を受けるも、その破産財団に属しないと解する。

(二) ところで、〈証拠〉により、原告が被告に対し前記慰謝料の支払を請求したことが認められ、この事実から、訴外服部が被告に対し、あるいは債権者集会において、何らかの形で右慰謝料請求権を行使する旨の意思を表明した事実を推認することができるけるども、訴外服部と被告との間で具体的慰謝料額の合意もしくは確定したことの主張・立証がない。

(三) そうすると、原告の主張する慰謝料請求権が仮に認められるとしても、右請求権は原告が管理処分権を有している破産財団に属していないので、原告は本件訴えの当事者適格を有しないといわざるを得ない。

二よつて、本訴は不適法であることになり、その余の点について判断するまでもなく、これが却下は免れ得ないから、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官大橋英夫)

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